下垂体腺腫という病気で手術しました



普段は明るい楽しい話題を書くように心がけているんだけど、自分が病気になった時にどうしてもネットで検索してしまって、その時に同じ病気の方のブログの存在がとても力になったのだった。どなたか一人でもこのブログに辿り着いて、今度は私が力になれればいいなと思って書き残しておこうと思う。

 

ただしあくまでもこれは患者としての個人の体験談に過ぎないので、安易に鵜呑みにせず気になることがあったら必ずお医者さんに確認してください。

 

 

すべての始まりは、自分の目が少し見えづらくなっていることに気付いたこと。最初はもう老眼が進んでいるのかなー?、老眼ってこんなに見えなくなるの?ぐらいにしか考えてなかった。それが手術から遡ること半年ぐらい前だった。

 

ずっと気になってはいたものの、数ヶ月が経った頃、晴れた日の朝、駅に向かって歩いている時に、視界の周りに白いもやが掛かったようになっていることに気づいた。左目の視界が特に狭くなっていた。この時点でようやく、ん?病気かな?と疑いだした。緑内障とか白内障などの目の病気が怖かった。

 

この時点でもまだ、病院行こうかなー、どうしようかなー、と考えていた。そんなある日、車を運転している時に、通りに出るところで、横から来ているバイクに直前まで気づいておらず慌てて止まるということが起きた。その時はあれ?確認したよな?、ぐらいにしか思わなかったけど、あとから考えて、ん?見えてなかった?と自分自身に疑問を持った。

 

そしてついに決定的なことが起きた。駅で横からくる人に全く気付かず、人にぶつかってしまったのだ。これはさすがにショックで、目が見えてないんだと確信した。自分ではあくまでも両目で見ているので、片目の端が少し見えていないぐらいだと気付かない。

 

急に恐怖が襲ってきて、覚悟を決めて眼科に行った。色々な検査をやってもらい、最後に先生とお話する時間になった。視野検査の結果、左目の縦半分が真っ黒、つまり半分は全く見えていなかった。自分では気付かなかったが、右目の端も少し視野が欠けていた。

 

 

先生曰く、縦半分の半盲になる場合はまず神経系を疑う、と。紹介状を書くので、すぐに脳神経外科へ行った方が良いということだった。まったく予想もしていなかった診断が出て、これから起こることに対して漠然とした不安に襲われたのだった。

 

こうなったら行動するしかない。頭を切り替えて、すぐにご紹介いただいた病院の脳神経外科の予約を取って行った。そこで人生初のMRIを撮った。診断の早い先生で、今日中に診断を出すからねと言われて、待った。呼ばれると、そこで下垂体腺腫という診断になった。見せてくれたMRIの画像には腫瘍が白くはっきりと写っていた。

 

下垂体というのは頭の中のど真ん中、鼻の後ろあたりにある小さな器官で、ホルモンを司っている。下垂体のすぐ上には視神経が通っており、そこにできた腫瘍が大きくなって神経を圧迫し、視野狭窄が起こっているという状況だった。多くの場合は両目のそれぞれ耳側半分が見えなくなるみたいだけど、自分の場合は特に左目の鼻側が見えなくなっていた。

 

たまたまその先生は大学病院の医局から来ている先生で、その大学病院の中でこの下垂体腺腫の手術ばっかりやっている先生がいるので、その先生を紹介するけど、ちょっと遠いけど良い?と言われた。他に頼れるものは何もなく、二つ返事でお願いした。帰り道はかなり大事になってしまった不安と、自分の病名が判明したこととで、複雑な感情だったことを覚えている。

 

そしてまた今度は大学病院の脳神経外科の予約を取り、診てもらうことになった。MRI画像も見ながら、この先生の最終的な診断も下垂体腺腫で間違いないということだった。腫瘍が小さい場合には経過観察も選択肢だけど、腫瘍が大きく、既に症状が出ていたため、すぐに手術での切除が必要となった。

 

頭の中の手術はどうやるんだろうと思ったけど、現在では経鼻(鼻から器具を入れる)の神経内視鏡手術で、比較的リスクも低く、体へのダメージも抑えられる手術に進化しているとのこと。

 

先生とその日のうちに入院と手術日程を決めて帰路についた。お忙しい先生で手術は2ヶ月先にはなるけど、この手術は経験豊富なこの先生にお願いしたいと思った。帰り道は手術日程まで決まったことで覚悟が決まり、切除さえすれば治る病気であったことに少し安堵したことを覚えている。

 

そこからの2ヶ月が長かった。気のせいかもしれないけど、だんだん目が見えなくなってきている気がした。入院は手術日の前日、その後は10日程度の入院が必要とのことだった。仕事の段取りも決めて、入院生活に必要なものも準備して、指折り数えてその日を待った。

 

 

いよいよ入院。人生始めての入院。色々な書類にサインして、色々な人がやって来た。翌日は朝一番での手術。手術前はさすがに緊張したけど、全身麻酔なので気付いたら終わってた。

 


 

その後は結構ツラかった。今思い出してもツラい。最初の1日はまず術後のICU入り。尿管を繋がれて全く動けず。鼻にはガーゼが詰め込まれたままで、基本的に口呼吸で、口の中が乾ききってしまう。周りの部屋ではキンコンキンコンという機械の警告音がずっと鳴り響いていた。

 

その後ようやく一般病棟の病室へ。目はこの時点ですでに視力がかなり回復していることを確信。こんなにすぐに変わるものかと驚いた。ここでようやくスマホに触れる。一通りメールとLINE。まだ鼻にガーゼは詰めたまま。さっそく食事が出るけど、口呼吸なので何かを口の中に入れると苦しくなってほとんど食べられない。ヨーグルトとか、汁物しか口に出来なかった。

 

 

3日後ぐらいにようやくガーゼを外してもらう。かなり奥まで入っているので抜くときは苦しくて涙が出た。ガーゼを抜いたら抜いたで今度は鼻から体液?がダラダラと垂れる。綿球(ボール状になった綿)を鼻の穴に入れる生活が続く。入れておかないとちょっと下を向いただけで、ダラダラと垂れてしまう。食欲は全く無い。体重がどんどん落ちていく。

 

7日後あたりに先生から、順調なのでこのまま行けば早めに退院できるかも、と言われた矢先、翌朝起きたら異変が起きていた。熱が上がり、尿量も少なくなり、一気に体重が落ちて、首筋にかけての頭痛が酷かった。髄膜炎が起きた。ここからは薬と点滴。水分摂取禁止。。。入院生活延長決定。もう帰れると思ってからのここが一番ツラかった。

 

この後は先生と看護師の方々の絶妙なコントロールでなんとか回復した。体重は激落ちして、鏡を見ると目が窪んで、二重(ふたえ)どころか、三重になっていた。

 

そこからは順調に回復した。鼻からの垂れは多少マシにはなったけど止まらなかった。食欲は退院まで戻ることはなかった。基本的に病院食が合わなかったのもあると思うけど、鼻の違和感と、味覚がおかしくなっていたのが大きいと思う。

 

結局15日ほどで退院できた。やっぱり家は最高だ。家のシャワーも最高。風呂上がりにコーラを飲んだ。最アンド高の最上級。しかし本当に体力が削られてしまった。ゆっくりとしか歩けない。そこからは毎日散歩に出るけど、全然歩けなくて途中で休んでばかりいた。

 

 

しばらくは食べ物も味覚がバグっていたのか、好みがおかしかった。まず大好きだったコーヒーがなぜか全く飲めなくなっていた。むしろ紅茶、しかもレモンティーを欲していた。食べ物はしばらくはお粥ばかり。食べないと回復しないので、少し無理して食べていた。

 

 

退院後はちょうど連休だったので、それが終わったらすぐに仕事場にも復帰しようと思っていたけど、通勤できる自信が無く、結局次の1周間は在宅勤務にした。コロナ禍でリモート環境が整っていたことが幸いした。仕事場に復帰する直前、鼻からの垂れがようやく止まった。なんとか一日働ける程度までは回復していた。

 

入院中は世の中から取り残されたような気がして、仕事に復帰できた時は、社会に貢献できることの喜びを感じたのは新鮮な感覚だった。

 

細かい術後の症状はあるものの、今は仕事にも完全に復帰できた。目は本当にわずかながら視野が欠けている感じも残っているけど、全く問題無い。また直接の因果関係は分からないけど、以前はしょっちゅうあった頭痛やひどい肩こりが一切なくなった。しばらくは半年に一回ぐらい検査で病院へ行く予定。やはり再発のリスクはゼロではない。

 

今回のような形で、別の部位の症状で発見される病気もあるのかという驚きがあった。人間ドックではぜひMRIの撮影もしくは脳ドックの受診も考えてみてください。

 

自分の場合は最初に受診した眼科の先生に言われなかったら今頃は失明していたかもしれない。次の病院ではすぐに適切な診断をして、良い先生を紹介してくれた先生、もちろん執刀してくれた主治医の先生はじめ他の先生方、看護師の方々、ヘルパーの方々、本当に感謝しかない。

 

もしも人知れず苦しんでいる人に気付くことができたなら、そっと声を掛けられるような人になりたいと思うようにもなった。自分はこれまではあまりに多くのことを見過ごしてきた気がする。

 

今年こそはまた遊ぶぞー!

 

 



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